裏八祐ブログ

閲覧注意。ブラックです。

「分けねば。」

「生きねば。」な映画が公開された頃、ブログを2つに「分けねば。」な思いを強くいだいていた。ブログを始めた当初は複数のブログを使い分けている人を不思議に思っていたが、でも今なら解る。

私は、妻を亡くした。この悲しみは、一生癒えることはない。平気なように暮らしているが、全然平気じゃない。その想いがたまに暴発する。何度も表のブログにその想いをつづった。それに対して温かい反応をくださる方々には心から感謝している。けれども、やはりネガティブなことよりはポジティブなものを好むのが通常だろう。それに、表のブログでの想定読者は、私と同じような悲嘆した人たちではなく、数年前の私のように、ごく普通に未来に希望をもった人たちである。

……いや、本当は違う。特殊な人だけに見てもらう為に書き始めたのが当初の目的だった。「気学」と「グリーフケア」の2本柱で書きすすめるつもりだった。けれど、このはてなブログのシステムが素晴らし過ぎるのかそれとも私の文章がステキ過ぎるのかわからんが、予定よりもずっと早くにしかも好意的な反応があり、困惑しつつも新たな楽しみを見出して日々ブログを更新し続けた。

ブログを書くことで、私はかなり救われた。

 

いつからだろう、ネガティブなことを書きづらくなったのは。

そう、いつの日からか、想定読者が変わった。それは、私にとって必然だったんだと思う。「生きねば。」ならないから。カネを稼がなくてはならないから。

絶望とか、生きたくないとか、辛くて辛くて仕方ないとか、そういったようなことを書いていてはお客さんがいなくなってしまう。仕事の依頼も来ない。そりゃそうだ、世の中はハッピーエンドを求めているんだから、中指立てて「DEATH!」って叫んでたり、何日も風呂に入らず鬱々と部屋に閉じ籠ってる者に近づくものなどいない。不屈の精神で苦難を乗り越えた勝者にならないと、マッチョにならないと人は集められない。カネは稼げない。

実際の仕事では、悲しみを引きずってはいない、ようにみえるだろう。「先生」という立場もあって、いたってマッチョで仕事をしている。それは強がってるわけではなく、実際にお客様と対峙することで強くなれているんだと思う。プロとして、ちゃんとアドバイスできている自負もある。

そういう「生きねば。」な為に実際のマッチョな自分がいるわけだが、そうすると悲嘆に暮れたブログ上での自分が足を引っ張ることになってしまう。「こんな人に依頼するのは縁起悪い」と思われたり、「なんだか苦しんでるみたいだから相談しづらい」なんて思われてしまったら商売あがったりだよ。

弱肉強食、カネを稼ぎたかったら、弱みをみせるのは最小限にとどめねばならない。

 

とは言いつつも、この毎日の苦しみを「書く」ことでいくらか楽になれることを知ってしまったので、そうそうやせ我慢してられない。「書かねば。」いつ発作的にこの窓からダイブしてしまうか分からない。そこで考えたのが、ブログを分けること。

公私の区別をつけるのは好きではないが、喜びと悲しみの区分けはしないと、ブログはうまくいかない。そのことを強く感じるようになっていったので、「分けねば。」

ポジティブとネガティブを分けることで、いろんなことがうまくいく気がした。

 

つうことで、こっちのブログでは、ネガティブなことばかりを書きまーす。それと、気学のことについても表のブログよりもマニアックに書こうかと思います。*1

また、読者の反応を意識してしまうと表のブログの二の舞になって書く内容を躊躇してしまう気がするので、はてなスターもコメントも(今のところ)無しにします。

ではでは。

*1:気学の専門的なことについては、そのうちにもう1つ「裏の裏・八祐会ブログ」をつくるかもです。