裏八祐ブログ

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泣けないなら泣かなきゃいいじゃん

知り合いが死んでも泣けない

妻が死んである方に会った時、「(うちの妻が死んだ事に対して)泣けないんです」って言われたことを思い出した。こっちは唇が腫れあがるほど泣き過ぎているってーのにそんな話をされてもと困惑だったが、その時は「実感が湧かない」んだなということで処理した。いまその方とは交流が途絶えている。

つまり、その程度なんだよ。たかが「知り合い」が死んだ程度でいちいち泣かねえって。

 

涙は、悲しければ勝手に溢れ出てくるもんだって。

たまに感情のコントロール機能が狂って涙が塞き止められることもあるが、寂しさとか悲しさとかで心が苦しくなったら自然と涙は出てくるもの。

「実感が湧かない」から泣けないというのも、いやがおうにも「実感」をつきつけられて苦しみに追い詰められれば、心身がぶっ壊れないよう防衛本能のために涙があふれ出してくる。体温調節のために汗をかくのと一緒。

「泣けないんだよね~」と能天気にほざいてるうちは、泣かねばならぬほどの苦しみにないということ。心がぶっ壊れた末での「泣けない」は、増田に投稿することも他人と会話をすることもままならないだろうよ。上記の人、親が死んでも泣けないのならば、あなたにとってそんな程度の親なんだよ。親が死んでも泣けないことに涙するがいいさ。

 

これとは反対に、大げさに泣き過ぎる人もいるよね。某国の風習。私としては、こっちの方が泣けないよりも重症に思う。嘘泣きと言っては不謹慎かもだけど、大げさに泣いて私はこんなにも悲しいんですアピールはうんざりする。私の身内にもそういうタイプの人がいて幼少のころからその様を見てきたせいかもだが、私は人前では涙は出づらい。妻の葬儀の時もその後の法要の時も、うっすら瞳に涙が溜まる程度で、人前では涙は流さなかった。我ながら気丈に振る舞っているなあーと自分で自分を褒めたい。

人前では泣かないぶん、ひとりの時にはそりゃあもうたいへん。大洪水。

 

人って、体からなにかを「出す」ことで、ストレスを軽減してるんだって。だから汗でも涙でも〇〇でも、体に貯め込まずに出した方が良い。唾を出すでも良いらしいよ。

涙が出ないというのは、どこかが目詰まりしてるか、そもそも涙の貯蔵タンクが空っぽなんでしょう。空っぽなのに、泣けるわけないじゃん。