裏八祐ブログ

閲覧注意。ブラックです。

グラディエーターなブロガー

とあるブログの「コメント欄」にて、プロレス(?)を拝見した。

あえてプロレスと表現したのは、同じことをこれまで何度も拝見したからだ。そうなると、これはもう起こるべくしてというか、自ら起こしているとすら思ってしまう。犯罪被害者に対して「あなたも無防備でしたね(だから自業自得)」としたり顔でのたまうゲスい奴らと同じ感想をいだかせる。当の被害者にとっては自業自得などとうてい承服しかねるでしょうが、対岸の火事をみる野次馬の意見なんてそんなものです。私もゲスい野次馬のひとりで、明日は我が身とならぬよう自分のところの火の元栓だけ守ってます。

 

ブログって、芸能人の芸能活動と同じだと感じている。その中で、コメント欄は、いわば握手会やサイン会といったところでしょうか。ファンと面と向かって交流する場、みたいな。一方、メイン記事は、さながら「ステージ」や「収録」といったところでしょうか。客席は真っ暗でそこにいる人達の顔はこちらから直接は見えません。テレビの収録も同じく、ブラウン管の向こうにいる人達の顔は直接は見えません。

そのステージの反響についても、ブログと同様です。PVは…(めんどくさくなったので割愛)

 

コメント欄その他交流一切を閉じてるこのブログは、自分はスポットライトにあたって可視化されているが、客席はまっくらでだれがそこに来ているのか分からない状態。私も誰が来ているか分からないし、客席同士も顔が見えない。そんな劇場。

このやりかたは、やはり私に合っていると、あらためて感じる。

今は客席数が数名の小さい小さい劇場。リピート客は、おそらくまだいらっしゃらない。劇場の大きさやリピート客の有無くらいはこちらでも把握できてる。そこがまた良い。やはり劇場の大きさによってステージ内容は多少は変わるからね。まるで内容が変わらないようにみえても、それは意図して行なっていること。お客さんには劇場の大きさも隣の客もまったく見えていないからね。

 

前にも書いたが、客席が見えないと、その分、とても自由になれるんだ。だからここでは一切の交流を絶っている。交流の場は、表の方に設けてあるからそこでする。

でも、劇場の大きさが変われば、冒頭のような表現はしない。万が一ご本人が来てしまって、しかも自分のことだと気づいてしまう可能性が高いからね。今はその確率がかぎりなくゼロだから、あえて過激な表現を使った。

 

それにしても、私はまだまだ新米ブロガーなんだと思い知らされる。冒頭の先輩ブロガーさんは、すごい。主張の貫き方と演出方法がすごい。プロレスという言葉は決して嘲笑したわけではない。幾重にもガチンコで場外乱闘を積み重ねたゆえの迫力と、そのことによって更なるコアなファンを獲得する度量は、すごいの一言に尽きる。プロレスというよりも、グラディエーターのほうがぴったりだろう。生きる為に、必死で傷だらけになりながら闘い続ける。おそらく死ぬまでそのコロシアムで闘い続けるのだろう。観客は、その傷だらけの姿にもう闘うのはやめてと願う一方、闘い続けるその姿そのものに魅了されてまたコロシアムに足を運んでしまう。もしかしたら応援するふりをして敵の剣に刺されるのを密かに期待しているのではないだろうか。そしてご本人もその事を了承している。そんな孤独と闇の深さを感じる。

 

私は、どうだろう。グラディエーターもプロレスラーも、どっちにもなれない気がする。なれないのではなく、なりたくないのかも。だって痛いの嫌いだから。殴られたくないので、殴りたくもない。平和主義者。…とは完全に言いきれない自分もいる。実は攻撃性はものすごく強い。ただし、一発たりとも殴られたくないから、肉を切らせて骨を断つとはしない。アメリカ様のように圧倒的な破壊力と根回しで絶対王者に君臨したいタイプ。

話がずれた。

ブログにたとえると、アルファブロガーになりたいというオレ様願望はもっている。が、実力的には難しいので人気が出ないことを前提に好き勝手に小さな小さなステージ上でパフォーマンスしている。絶対にメジャーデビューしてやるという野心を焚きつけないよう自制しながら、自己満足のステージを毎回作り上げている。

グラディエーターブロガーやアルファブロガーのようにタフには、まだまだなれない。