ケネディ大統領暗殺現場を訪れての雑感
表ブログに書いた記事のね、フォローというか、言い訳というか。
私にとってケネディ大統領は、物心ついた時からすでに故人で、なおかつこの暗殺事件は歴史の1ページとしてでしか知らないんですよね。つまり私の中ではリンカーンと同じあつかいといいますか、同じカテゴリーとしてくくられているんです。ダイアナ妃の事故(事件?)等とは印象が違うんですよね。ケネディとは生前を同じ時間で共有していないんでね。
そしてまた、ケネディ暗殺って、謎だらけじゃないですか。なので、あの現場に行っても故人を偲ぶよりも「謎解き」のほうにどうしても意識がいっちゃうんです。
まして私はアメリカ人じゃないんでね、よけいにそうなっちゃいます。
だから、あの記事では感情を込めずに淡々と書きました。
どうもね、そのことが一部の読者からは反感を買ってるっぽいのでね、ちょっと言い訳したくなりました。
てか、縁も所縁も無い赤の他人の死に対して、なんでもかんでも悼んでればいいってわけではなくね?だいたいみんなはさあ、毎日毎日ニュースで事件や事故で人が亡くなってるのを見聞きしてそれに対していちいちちゃんと悼んでるのかっつうの。ぜったい違うでしょ。ああ…と嘆いたその後すぐにバラエティ番組みて大笑いしてるんでしょ?
なんかさあ、いい子ちゃんぶるのもいいかげんにしたら?
自分の身近に死が無い人ほどいい子ちゃんぶってね?
私の場合、他人の死にいちいちセンチメンタルに反応してたら、もう生きていけないよ。
毎日毎日「死」に対して嫌というほど考えさせられてるんだから。
せめて縁ない人の死は他人事として処理しないと、生きていけないよ。
私は、ケネディー家とはご縁ないし、生まれる前から故人だし、アメリカ人じゃないし。だから、あの現場では悼むよりも謎解きの方に興味がいってしまったよ。
予想ではさ、あの現場に行けば彼の死を悼むアメリカ人の姿が数多く見られると思ったよ。でも、その姿はほとんど見られなかった。表の写真の1番最後に映ってたウエスタンハットをかぶってた彼だけが、終始、神妙なかんじで現場をまわっていたよ。思ってた以上にあそこはふつうの観光スポットになっていた。
それもあって、あのような記事にしたんだ。
もちろんあの事件は私も痛ましいとは思うさ。でも何度も言うが縁も所縁もない私がさぞや大げさに彼の死を悼む記事を書くのは、なんかちがくね?
そんな偽善者ぶったことはしたくなかったんだ。
「あの事件はまだ解決していない」
私が1番伝えたかったことは、そのこと。
《追記》
こうして裏に書いたが、結局は表ブログにも同じことを書いてしもうた。。