絶望のイメージ
武田邦彦 (中部大学): 人を苦しめるもの 「サスペンス」状態
「死んじゃったらどうしよう」と恐怖に怯えている時よりかは、今の方がある意味ラクではあります。痛みに苦しむ彼女の姿を見なくて済みますから。やもめ暮らしも、想像よりかは悲惨ではありません。
が、しかし、その当時では想像できなかった苦しみと闘い続けていることも事実です。
つまり、ドラマや映画などでみるようなステレオタイプの悲惨さはありませんが、死別の苦しみは、経験者でないと分かりません。未経験者が想像できる範疇ではありません。なにせ「苦しみ」と一言で表せるものではありませんからねえ。「死ぬことが1番の希望。よろこび。」で確定しちゃってるんですもの、普通の感覚でははかり知れないでしょ。傍からみたらとっても悲惨よねえ。(なぜオネエ言葉?)
適切な言葉がみつからないから「苦しみ」の一言で表わすが、この立場となった今、あらためて強調したいのは「想像を超える」「想像を絶する」ということ。
で、私が言いたいことは、
「どんなに最悪のことを考えたって現実はそれを軽々と凌駕してしまうんだから、最悪の事態を考えて気を揉むことは無駄」と声を大にして言いたい。
リンク先の武田先生と考え方の基本は一緒。但し、ちょっと違うところは、
死別の苦しみは、ハンパねえ。
でも、だからこそ、そんなことは事前に想像しなくていい。
テレビを観て笑えるようにはなれます。
幸せそうな人たちを見ても耐えられます。
ひとり暮らしもどうにかできてます。
どうにか生きてます。
お迎えが来るまで待つ覚悟でいます。
価値観が変わったものの1つに「絶望」に対するイメージがあります。
それは「希望」の価値観が変わったともいいます。
普通の人は「生きること」が希望でしょう。でも私は「死ぬこと」が希望です。
でも誤解しないでいただきたいのが、私はそれを「早く」とは望みません。なぜなら「上手に」という前置きがつくからです。上手に死ぬとは「上手に生きる」ことでもあります。
上記は過去の下書きにあった文章。まだ書き途中みたい。159日前って書いてあった。159日前っていつ?4月末頃か。ああ、世の中はゴールデンウィークね。衰運の影響もあって辛かったのだろう。よしよし(頭なでなで)。このまま下書きに沈めてしまうのはなんかもったいないので成仏させよう。とはいえ、上記の続きはもう書けないので別のことを書く。
さっき脳科学者の中野信子さんが出演したテレビがとても面白かった。日本人は「世界一心配性」なんだって。それと成功よりも「失敗しないこと」を求めるそうな。
なんか解る。
日本人の死生観も、その特徴がよく表れている。特に死別に対して殊更に「臭いものに蓋」をする風潮を強く感じる。死別者に再婚を勧めることが当然で、しかもそれが善意だと信じて疑わないところなんか典型的だ。
きっと日本人は「死」全般に対して蓋をしているのだろう。
「人は必ず死ぬんだからね」
テツコは、泣きたいのを我慢した。
「一樹みたいに死んじゃうンだからね。」
「わかってるよ」
岩井さんがやっと言うと、
「わかってないよ」
とポツンと言った。
(昨夜のカレー、明日のパン)
死別の苦しみを知る者と知らぬ者の格差を表すシーンに共感したが、でも結局この作者もこっち側の人ではなかったな。骨を返して岩井を受け入れるシーンはガッカリした。体は受け入れても心は受け入れないで欲しかった。
前に進むことの解が再婚しかないってあんまりにもボキャ貧だよ。