裏八祐ブログ

閲覧注意。ブラックです。

妻自慢

昨日の日曜日、今日の祝日と、状況的にはメンタルが落ち込みそうな日柄ではあったが、今のところ問題なく過ごせている。これはおそらく、時より「激しく泣けてる」おかげだと思っている。一見するとその方が辛いんじゃないかと思われがちだが、感情メーターを振り切っておもいっきり泣けちゃう方がスッキリできて調子が良い。

そして、やはり祐気採りは間違いない。

昨日は気が進まなかったが、郊外のショッピングモールへ祐気とりに出かけた。さすがに真昼間では自殺行為なので、夕陽がさし、宵闇が忍び込んでから出かけた。(「翳りゆく部屋」聴いて気分を盛り上げて(?)から)

駐車場はどこもいっぱい。まだ人は多い。

でも店内は、思ったほど混んでなかった。よしよし。

文具売り場があったら買いたいものがあったんだけど、専門店は無かった。しかたなく、未来屋書店へ。うちの近所にも売ってるのを買っても仕方ないから、なにか面白そうなものがないか探すも、ご縁なく。初老の夫婦が仲睦まじくしている横を通り抜け、大きなため息をひとつ吐く。子供連れの若い夫婦の横を通った時よりもきつい。ここに来たことを少し後悔する。

CDショップが目に入った。吸い寄せられるようにふらっと入る。

表のブログにも書いたが、欲しかったCDが手に入り、一気にテンションあげあげ。

ついでに「コナ・ブリューイング」のビールも手に入り、ごきげんで帰宅する。

 

石川セリには、特別な思い入れがある。(親しみを込めて敬称略)

私の年代で石川セリを知ってる者などいるはずもなく、私も当然に妻からの受け売りだ。彼女が歌う「Moonlight Surfer」は、ユーミンの「DESTINY」と並んで毎回必ず唄う定番曲だった。この2曲だけはいくら原曲を聴き入っても彼女の声の方を思い出す。

Moonlight Surferの歌詞(2番)が、実は死別の歌だったことは、同じ立場になって初めて気がついた。幾度となく彼女が唄っているのを聴いていたのに全く気がつかなかった。DESTINY=運命・宿命 という意味も、なんだか意味深に思える。未来がみえる人(能力者)だったからね。

石川セリでもう1つ気づいたことは、容姿が妻に似ているということ。昔はアルバムの写真1枚しか知らなかったので気づかなかったが、今はインターネットのおかげでいろんな映像がみれて、また現在の様子もみれて、あらためて似ていることに気がついた。そっくりレベルと言っていいくらい、似ている。鼻の高さがちょっと違うくらい。輪郭や目のかんじがそっくり。

妻の「動画」は1つも残していないので石川セリの姿に彼女の面影を投影してそう思い込んでしまってるのかもしれないが。でもやっぱり似ていると思う。

石川セリと似ているって書くと、図らずも「うちの妻はめちゃめちゃ美人なんですよー」と自慢しているようになってしまうから、このことは表では書かない。誰も見ていない裏にこっそり。

 

ぶっちゃけついでに書くが、私が頑として再婚しない宣言をするのは、あまりにも彼女が高スペックすぎるせいもある。具体的にどこがどうとは書かないが、とにかくハンパない。(生まれる前から結ばれていたうんぬんは抜きにして)よくこんな私と結婚してくれたと思うよ。はっきりいって釣り合わなすぎる。

そんな彼女に唯一足りなかったものがあるとすれば、それは「家柄」かな。両親がいないで祖父母に育てられ、思春期には親戚をたらいまわしにされた彼女。昔は今以上に家柄を重視する時代だったから、そのことで散々差別をうけたし、親戚からも酷いいじめをうけた。悔しさをにじませながら愚痴をこぼす姿が今でも目に浮かぶ。でも彼女に「普通」の家柄が備わっていたら、私たちは永遠に出逢うことはなかったわけで、とにかくめでたしめでたし。

 

こうして妻のことを書くと、気分が晴れやかになる。ほんと、自慢の妻だからね。

彼女の魅力をもっと世間に知らしめようとずっと画策してて、順調に進んでいたんだけど、世に出る前に死んじゃった。彼女を知る遺された人達を通じて彼女の功績を語り継いでいければとも思ったが、私が悪かったのか知らんが、みんな蜘蛛の子を散らすように去っていってしまった。だからもう、彼女の名を残すことはしない。

誰よりも美しく、誰よりも知性にあふれ、誰よりも気高く生きたけれど、名を残すことなくこの世を去ってしまった。それはそれで彼女らしくてかっこいい気がする。「他人なんかどうでもいい。あなた(私)だけ憶えていてくれればそれでいいよ」とのメッセージなんだろう。くう~、男前すぎる。