裏八祐ブログ

閲覧注意。ブラックです。

「怪しい占い師」の見分け方?

「怪しい占い師」なるエントリーのブログを見てしまった。つい見てしまった。見なきゃよかった。あまりにツッコミどころ満載すぎて自分ひとりではどうにも消化できないので、ここで毒出しさせてもらいます。

 

その記事は先ず自分PRから始まったんだが、それこそが「怪しい占い師」そのものだったので、自虐ネタギャグとしてエントリーしたんだと思い読み進めてみた。が、違った。マジだった。ギャグや釣りをしている雰囲気は微塵も感じなかった。怖っ!!

 

これは「占い師」に限らず、宗教でもコンサルでも営業でもなんでも同じですが、耳触りのよいことやキレイごとばかり並べ立てる者には気をつけた方がよいです。ちなみに「脅す」手口はもうクズすぎて論外ですのでここではあえて述べません。

いつも述べてるように物事はすべて「表裏一体」ですので、どんなものにも必ず「裏」があります。そして「裏=悪」という単純なものでもありません。「表=善」でも当然にありません。物事の捉え方や今後の展望によって表裏善悪はいかようにも変化します。

 

「言霊」も、一般的には悪い言霊は控えた方が宜しいといわれます。しかし、どうにも腹に据えかねることや未消化の悲しみを抱えながら人は生きねばなりません。そしてそれらを「我慢」だけで乗り切ろうとすることは、私は反対です。また「ポジティブシンキング」など発想の転換をさせようと脳を騙すのも、効果はいまいちでしょう。そんな程度で救われるほど軽傷ならいちいちポジティブなんちゃらなんてしなくても酒飲んだりケーキ食べたりすれば解消できますって。毒素は、しっかり吐き出さないといけません。だから言霊も、場合によっては「ちくしょう!」や「くそ!」とか言って毒素を吐き出す必要があります。「感謝」や「ありがとう」をバカの一つ覚えみたくそれだけ唱えてれば幸せになれるわけではありません。てか、そもそも「幸せ」って何?

 

「薄っぺらい」かどうかも判断基準の1つでしょう。以前に表のブログで「魂の重い、軽い」という記事を書いたが、薄っぺらいというのもそれと同じ。薄っぺらい人の言霊は軽い。スカスカ。で、そこを見分ける方法というのは、自分自身の魂をどっしり重くするしかない。

あんなスカスカな記事にこうしてマジになってる自分もまだまだ未熟だなと思うが、なぜだかスルーする気になれなかった。激おこ。

ほんとはリンク貼って一字一句つっこんでやりたいんだが、そこまでするのはやりすぎ(過ぎたるは猶及ばざるが如し)に思うので、やめとく。

 

「副業をもってる」「物を売ってる」からといって怪しいと決めつけるのも早計です。

「私は鑑定一本でやってます(ドヤ顔)」つったってさあ、私からしたら「で?」の一言だよ。「私は一切鑑定料も頂きません」っていうなら商売でやってる人を糾弾するのも分かるけどさあ、どんなにキレイごと言おうがカネもらってやってるなら同じだって。むしろ副業をもっている人の方がよっぽど身綺麗に思えるよ。だって鑑定だけでむりくり食おうとしてないんだもん。

パワーストーンや魔除けグッズにしたって、全部がまがい物なわけじゃないからね。まじに効果あるものもあるからね。うちも妻が生きてた時はそういった本物を紹介していたよ。私にはそういうの見分ける能力がないからやらないけど、もしもそれができるようになったら堂々と売るよ。

今日のニュースでどこぞのホテルがブランド食品偽装して謝罪していたけどさ、どんな商売でも真面目にやってる人もいれば詐欺師もいるって。高級ホテルだから大丈夫、占い師だからダメとかじゃないって。

 

ちなみに私は「占い師」ではありません。なぜなら未来を占うことはできないから。

私ができることは、お客様の「目標/目的」に対して適切なアドバイスをすることです。だからたとえば「結婚したい」のならばその目標に向かっての「今後にすべきこと」をお伝えします。「いつ結婚できるか?」を占うことはできないけれど、結婚するのに適した時期をお伝えすることはできます。だから、その時期が迫っていたら「もっと頑張れ!」と背中を押しますし、まだ当分先だったら「のんびり花嫁修業しましょう」と気持ちをなだめます。

他の占いに関してはよく分かりませんが、こと「気学」に関しては、未来を「的中」させることは不可能に思えます。だって気学は未来を自分の手で変えていく学問ですので、未来を当てることとはちょっと違います。だから、デパートの占いコーナーで気学のみで鑑定している人っていないはずです。四柱推命なり算命学なり他の学問と併用しているでしょう。

「私は気学一本でやってるから本物」とのたまうつもりもありません。そもそも何を以て「本物」とするか、その定義が不明瞭ですので。「よく当たる」ことが本物か偽物かの基準だとしたら、私は一生本物にはなれません。

 

歴代の占星術師って、いわば「公務員」だったんですよね。大学など研究機関の職員といった方が適切でしょうかね。人類や国の発展のために「国から給料をもらって」日夜研究に励んでいた、それが占星術師です。陰陽師天地明察の世界ですね。それがなぜ今では賎業あつかいされるにいたったかというと、江戸時代になってそれら学問が「民間」に降ろされたからだといわれます。身分の貴賎を廃止して自由と平等に向かっていく未来プロジェクトの一環として学問の自由が行なわれたのでしょうが、占星術の分野では図らずもその地位が低く蔑まされるようになりました。がしかし、そのおかげで「発展」できたという側面もあります。「気学」という言葉自体も明治以降になって民間から生まれたものですし、また歴代の先生方によってその内容も改変されています。これが公務員のまま秘密裏に伝えられていたらこの学問の発展はもっとずっと遅れていたでしょう。実際に皇室の移居動身や神社庁の暦をみてもそれが明らかです。

って、こういう話はあまりしたくないのが本音です。たがいに信ずるものが違うだけで、どっちが本物か偽物かという話ではないのでね。

 

そう、この記事を書く動機となったいんちき(?)ブログに対してもそれは同じ。「いんちき」というのは言葉の綾です。人が違えば主義主張が違うのは当然ですのでね。いんちきか本物かと互いに罵り合うのはアホです。

じゃあなぜ書いたのか?

そう、強いていえば「バランス」のためかな。

読者の方に判断をゆだねるためにも、私はバランスをとりたかったんだと思う。だから書かずにはいられなかったんだと思う。

気学界を代表して一言物申したいのもあった。私がそんなこと言うのはおこがましいことは重々承知の上で、でも他に言う人がいないであろうから、ついつい書いてしまった。また、いくら「気学は占いじゃない」と言ったって、世間ではそう認識されていないのも事実。ゆくゆくは「占い」という賤業あつかいから脱却を図りたいと常々考えているが、その為にもここで一発かまさねばという気もしたもので。

 

表のブログに書いた方が援軍も得やすいが、相手を叩きのめしたいわけではないので、それに早急に解決させなければならない案件でもないので、今日のところは裏ブログに記します。とりあえず言いたいことは吐き出せたので、誰にも読まれなくても「公開する」ボタンを押せばスッキリすると思う。ふう。。。